パソコンとは
パーソナルコンピュータ(Personal Computer)の略で、個人が使うための目的で作られたコンピュータのことです。
パソコンを使うと、インターネットでニュースや天気予報、趣味に関することなどの最新情報を手に入れたり、世界中の人々と電子メールを交換したりできます。
また、案内状やハガキなどの文書や家計簿、見積書などの表を作成することもできます。パソコンは趣味や仕事に、あらゆる面で利用できます。

今は、「パソコン」といわずに、「PC(ピーシー)」と言う人が多くなったように思います。

昔は、パーソナルコンピューターの他に、業務で使う「オフィスコンピュータ(オフコン)」がありましたし、また、例えば北海道庁等で北海道の全人口を処理するためのでっかいコンピューターを「汎用コンピューター」などとも呼ばれていました。他にも数値計算を大量にするために、「スーパーコンピューター(スパコン)」等、設置するのに、部屋を一つ占有するような大きさのコンピューターもありました。

コンピュータのカテゴリー

最近は、パソコンより小さくく持ち運びに便利な「ネットコンピューター」とか携帯電話から進化した「スマートフォン」があります。「スマートフォン」は、携帯電話というよりパソコンに近いものだと思います。


パソコンって、なんでしょう。
ちょいと哲学的になるのですが、少し考えてみると・・・・・
パソコンって、使う人によって目的がいろいろと変わる道具となります。
つまり

サラリーマンにとっては、ワードやエクセルなど、業務に必要な道具。
ミュージシャンには、パソコンを使って音を作るための道具。
インターネットする人にとっては、ネットサーフィンするための道具。

というように、パソコンて、「使う人によって、目的が変わる道具」なのではないでしょうか。
ということは、「使用する目的が無いとパソコンって使い道がない道具」となります。
だから、単に「パソコンを覚えたい」といって、パソコンを購入する人は、結局使い切れずに部屋のオブジェとなってしまうのです。
パソコンを使おうと思う人の側に、「パソコンを使用する目的がない」からです。
もう30年位前のパソコンというものが発売された時、パソコンがブームとなり、だれもかれもがパソコンを所有したものです。その頃のパソコンは、結構使いづらいもので(現在のWindowsのようにマンマシンインターフェースが優秀ではなくて)、結構根性をいれて勉強しないと使い切れないものでした。
たくさんの人がパソコンを購入して、そのまま使い切れずにゴミとなったものです。
「目的意識」というものなければ、パソコンって使いこなせませんでした。
 


今ではパソコンは、そろばん・電卓と同じで、だれもが使えるものです。
というか、「使えて当然」という時代です。
学校の授業で「エクセル」「ワード」が習えますから、パソコンというより「エクセル」「ワード」は使えて当然という時代です。
「エクセル」「ワード」が使えなければ、仕事にならないという時代なのかもしれません。
まっでも、個人生活の中でパソコンが必ず必要だという時代にはまだ時間が必要です。


アナログ社会とデジタル社会

昔、記憶をたどると、1995年位、Windows95が発売される前後、新聞等で「デジタル社会とはなにか」みたいな特集がよく組まれていました。
いろいろな学者さんや解説者が「デジタル社会とは・・・」と話していたのですが、なにをどのように話していたのかもう忘れてしまいました。

どのような内容だったかは記憶はありませんが、でも改めてまわりを見回してみると、世の中はデジタルな機器がいっぱいです。
アナログのビデオはなくなって、DVDやハードディスクビデオ。レコードはとっくに無くなってCDやCDR、アナログのカメラ(銀塩カメラ)はもはやマニアしかもっていず、デジタルカメラやカメラ付携帯。携帯電話はアナログ式からデジタル。アナログのテレビはもうそろそろ無くなり、地デジ対応のテレビ等々。

改めて考えてみると、現実の今の社会が「デジタル社会」なのだと考えさせられます。
私たちの生活にデジタル家電という形でデジタルなモノがあふれかえっている。その中で生活している。それが「デジタル社会」なのだと思います。

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